【真相】和同開珎は日本最古ではない?読み方の謎や現在の驚愕価値を徹底解説
日本史の教科書で誰もが一度は目にする古代の貨幣「和同開珎(わどうかいちん/わどうかいほう)」。708年の発行から1300年以上の時を経た今もなお、歴史ファンの知的好奇心を刺激し続けています。長らく「日本最古の流通貨幣」として記憶されてきましたが、近年の考古学的発見や文献研究の進展に伴い、その位置づけや実態には新たな光が当てられています。
同時に、収集家市場における取引相場や本物の見分け方、さらには「そもそもどう読むのが正しいのか」という根源的な議論に至るまで、関心は尽きません。古代国家がどのような思惑でこの銭貨を鋳造し、人々の生活に浸透させようとしたのか。史料が語る客観的事実と市場データから、和同開珎の全貌を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:読み方は「かいちん」「かいほう」双方に学術的根拠があり、教科書や公的機関でも併記が定着している。
- 要点2:富本銭の発掘により「日本最古」の称号は移ったものの、国家主導で広域に流通した貨幣としての先駆性は揺るがない。
- 要点3:古和同と新和同で希少価値が劇的に異なり、状態や書体次第では百万円を超える高額査定も存在する。
【読み方の謎】「かいちん」か「かいほう」か?歴史学会の論争を紐解く
和同開珎の名称を巡っては、長年にわたり「わどうかいちん」と「わどうかいほう」の2つの読み方が激しく対立してきました。発端は4文字目の「珎」という漢字の解釈にあります。
江戸時代の国学者・新井白石らは「珎」を珍宝の「珍」の略字とみなし、「かいちん」と訓読しました。この説が明治以降の学校教育に採用されたことで、一般には「わどうかいちん」の名が広く定着しました。
一方、古銭学や書道史の視点からは「寶(宝)」の異体字あるいは草書体の略字であるとする「かいほう」説が根強く主張されてきました。当時の東アジアにおける基軸通貨であった唐の「開元通宝(かいげんつうほう)」に倣い、初鋳銭には「宝」の文字を配するのが自然であるという論拠です。奈良国立文化財研究所の出土木簡資料や当時の公文書の用字例を検証しても、「珎」を「寳」の略表記として用いた事例が確認されています。
現在の歴史学界および文部科学省の検定教科書では、両説併記(「わどうかいちん」または「わどうかいほう」)が標準的な扱いとなっています。どちらか一方のみを誤りとするのではなく、文字文化の過渡期に生まれた重層的な背景として理解するのが妥当です。

日本最古の貨幣論争と真相|富本銭・無文銀銭との決定的な違い
かつては「日本最初の貨幣」と教えられていた和同開珎ですが、1998年に奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から富本銭(ふほんせん)がまとまって発掘されたことで、その歴史的序列は塗り替えられました。
発掘調査と年輪年代測定法による解析の結果、富本銭は天武天皇期(683年頃)にはすでに鋳造されていたことが判明しました。さらに、それ以前から存在したとされる無文銀銭(むもんぎんせん)の存在も確認されており、「日本最古の鋳造貨幣」という称号自体は富本銭や無文銀銭に譲ることとなりました。
ただし、ここで重要なのは「国家公認の流通貨幣としての実効性」です。富本銭はまじないや儀礼用(厭勝銭=えんしょうせん)としての性格が強く、一般流通を目的とした規模の広がりには限界がありました。対して和同開珎は、律令国家が法制度(蓄銭叙位令など)を整え、全国規模での市場経済構築を明確に意図して大量発行した点で、実質的な「日本初の全国流通公鋳貨幣」としての価値を保っています。
【徹底比較】和同開珎と富本銭・皇朝十二銭のスペックデータ一覧
古代日本で発行された主要貨幣の仕様と歴史的位置づけ、現在の市場評価基準を以下の比較表にまとめました。
| 貨幣名称・区分 | 発行年代・仕様(サイズ/重量) | 主な用途・歴史的特徴 | 現在の市場相場・希少性 |
|---|---|---|---|
| 富本銭 | 683年頃(天武朝) 直径約24mm / 重約4.5g | 七曜文を配した意匠。初期の試鋳または呪術的儀礼用途。 | ほぼ全数が指定文化財級。市場流通は極めて稀。 |
| 和同開珎(古和同銀銭) | 708年5月(和銅元年) 直径約24mm / 重約3.5〜4.2g | 銅銭に先駆けて発行。私鋳や退蔵により短期間で流通停止。 | 100万〜300万円超(現存数が極少で博物館級) |
| 和同開珎(古和同銅銭) | 708年8月(和銅元年) 直径約24mm / 重約3.2〜4.0g | 初期鋳造分。肉厚で文字が素朴、手彫り母銭の趣が強い。 | 30万〜150万円(状態・書体分類により変動) |
| 和同開珎(新和同銅銭) | 710年代〜720年代以降 直径約24mm / 重約2.5〜3.5g | 平城京造営に伴い大量鋳造。薄型化と規格化が進行。 | 3万〜15万円(一般古銭市場で取引される中心層) |
| 皇朝十二銭(後期) | 〜958年(乾元大宝まで) サイズ・重量ともに漸減 | 改鋳ごとに価値を10倍に設定。銅不足と品質悪化で信用崩壊。 | 種類により数千円〜数十万円(末期の銭は残存状態による) |

発行理由と国家戦略|秩父和銅遺跡から平城京造営へ至る古代の思惑
和同開珎が誕生した直接の契機は、708年(和銅元年)正月に武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市・秩父和銅遺跡周辺)から精錬を要しない純度の高い自然銅(和銅)が献上されたことです。これを慶事とした元明天皇は、元号を「慶雲」から「和銅」へと改元し、国家を挙げた一大幣制改革に乗り出しました。
しかし、単なる鉱物発見の祝賀にとどまらない、高度な政治的・財政的意図が背景にありました。
第1の目的は、目前に迫っていた平城京遷都(710年)の莫大な建設資金の調達です。資材の調達や労働力への対価を現物支給(布や米)ではなく自前の貨幣で支払うことができれば、国家財政の負担を劇的に圧縮できます。
第2の目的は、中華帝国(唐)に対抗しうる中央集権的な律令国家の威信誇示です。自国の年号を冠した統一規格の銭貨を鋳造・流通させることは、国内外に向けて独立した統治体制を宣言する強力な政治的象徴でした。
政府は銭貨を広く普及させるため、711年に蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)を公布。一定額の銭を蓄えた者に位階を授ける優遇策を打ち出しました。しかし、これが裏目に出て人々は使わずに退蔵してしまい、市場での流動性が著しく低下するという皮肉な経済的失敗も引き起こしました。
【実態検証】現在の驚きの価値と買取相場|古和同・新和同と本物の見分け方
古銭収集市場における和同開珎は、古代史のロマンを象徴する最高峰の銘柄として高額取引が続いています。ただし、その評価額は種類と状態によって極端な開きがあります。
和同開珎は大きく分けて、初期に鋳造された肉厚の「古和同(こわどう)」と、平城京造営期以降に量産された薄型の「新和同(しんわどう)」に分類されます。現存数が極めて少ない古和同(特に銀銭)であれば100万円から300万円以上のオークション落札例も珍しくありません。一方、比較的残存数のある新和同銅銭の場合、一般的な買取相場は3万円から15万円前後となります。
市場価値が高い反面、精巧な模造品や江戸時代以降の観賞用レプリカ(絵銭など)が多数出回っています。真贋判定における主なポイントは次の3点です。
- 重量と金属組成:本物は規定の規格(新和同で約2.5〜3.5g、古和同で約3.5〜4.2g)に収まります。現代の合金で作られた偽物は比重が異なり、軽微なズレが生じます。
- 文字の彫りと鋳肌:本物は1300年の経年変化により角が自然に摩耗し、鋳肌に特有の落ち着きがあります。人工的な薬品処理による緑青(ろくしょう)や、型取り偽造による文字輪郭の甘さは鑑定士の目を逃れません。
- 縁(へり)と内郭の処理:鑢(やすり)による仕上げ痕跡の方向や、内側の四角い穴(内郭)のバリの処理方法に時代固有の技術的特徴が現れます。

一般に知られていない盲点とネットの誤解
インターネット上の古銭解説やSNSでは、和同開珎に関していくつかの誤認が流布しています。事実関係を正確に把握しておくことが重要です。
誤解1:「和同開珎は当時の庶民全員が日常的に買い出しに使っていた」
実態として、銭貨が流通したのは畿内(現在の近畿地方中心)および主要な官道沿いに限られていました。地方農村部では依然として米や布による物々交換が主流であり、全国津々浦々の庶民が日々の買い物に使っていたわけではありません。
誤解2:「蔵から出てきた和同開珎はすべて本物の国宝級お宝である」
旧家や蔵の整理で発見される事例の大多数は、明治期から昭和期にかけて作られた観光土産品や、江戸時代に富貴を願って作られた「絵銭(縁起物)」です。本物の可能性を安易に否定する必要はありませんが、過度な期待を抱く前に日本貨幣商協同組合加盟店などの専門機関による査定を経るのが確実です。
【プロの結論】経済支配の限界から読み解く国家信用の教訓
和同開珎から始まる皇朝十二銭の歴史は、約250年後の958年(乾元大宝)をもって幕を閉じました。国家が財政難に陥るたびに新銭を発行し、旧銭の10倍の公定価値を一方的に押し付けた結果、品質の劣化とともに民衆の信用を失い、最終的に貨幣経済そのものが崩壊したためです。
この歴史的帰結は、貨幣の本質が「国家権力による強制」ではなく「利用者相互の信用」にこそあるという不変の経済原則を物語っています。和同開珎は、古代国家が描いた壮大な国家統一の理想と、市場心理を制御しきれなかった現実の狭間を浮き彫りにする貴重な歴史の証言者といえます。
【和同開珎】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:和同開珎の読み方はテストではどちらを書くべきですか?
A1:現在の学校教育や入試では「わどうかいちん」「わどうかいほう」のどちらを解答しても正解(正答)として扱われるのが一般的です。教科書でも両論併記されています。
Q2:なぜ銀銭と銅銭の2種類が作られたのですか?
A2:708年5月にまず銀銭が発行され、同年8月に銅銭が発行されました。当初は高額決済用に銀銭、小額決済用に銅銭という使い分けが想定されていましたが、銀の私鋳(偽造)が横行したことや銀地金の不足により、発行からわずか1年余り(709年8月)で銀銭は通用停止となりました。
Q3:手元にある和同開珎を鑑定に出す際の注意点は何ですか?
A3:決して洗剤や金属磨き粉で擦ったり、サビ(緑青)を無理に削り落としたりしてはいけません。古銭の価値は経年変化による風合いや当時の状態が保たれていることにあり、過度なクリーニングは評価額を大幅に下げる致命的な原因になります。そのままの状態で専門鑑定店へ持ち込むことを推奨します。
まとめ:古代の息吹を伝える和同開珎が持つ歴史的ロマン
和同開珎は、単なる古いお金という枠を超え、古代日本が律令国家として独り立ちしようとした気概と試行錯誤をそのまま閉じ込めた歴史的記念碑です。富本銭の発見によって「最古」の解釈が洗練され、読み方を巡る研究が深化した現在も、その文化的価値が色あせることはありません。
1300年前に鋳造された小さな青銅の円形方孔銭に思いを馳せることは、貨幣と国家、そして人々の暮らしの原点を見つめ直す豊かな契機となるはずです。 (出典: 和 同 開 珎(Yahoo!ニュース))